なぜか懐かしい風景
- 貨物線が走る町 -
下町をゴトゴトと走る大阪臨港線 ![]()
JR 大阪環状線 野田駅は貨物線の分岐ターミナルでした。 中央市場や三菱製紙などに貨物線が引かれていました。 これらは梅田貨物駅につながる当時の国鉄 西成線から分かれていたものです。 野田中学校の裏手もヂーゼル機関車が走っていました。 線路の向うは川で映画「泥の河」の雰囲気そのままでした。
小説「泥の河」は船津橋近所の話です。 この本は一読をお勧めします。 当時の大阪の下町の様子、というか福島区界隈の川の情景が大変良く描かれていると思います。 セピア色の情緒豊かな描写が物悲しさを誘います。 ここで描かれているのは社会的弱者と言うと語弊があるかもしれません。 しかし学校にはいわゆる部落の子供もいました。 それらが貨物線の心象風景の一つとして思い出されます。
関連: 安治川散歩
(2023-02-14) 昭和 46 年( 1971 年)の大阪鉄道管理局発行『セールス手帖』の附録地図には今では廃線になった野田から岐れていた市場線の大阪市場駅、安治川口から岐れた大阪北港駅、大正から浪速駅経由の大阪港駅および大阪東港駅などが記載されています。最後まで残ったのが大正から浪速駅の大阪臨港線です。
昭和 20 年代の国鉄線
市内の旧国鉄旅客線と貨物線
大阪臨港線は昭和初期に当時の関西線 今宮駅から築港(天保山)まで開通しています。 現在は福崎の貨物駅(浪速貨物駅)から先は廃線になりました。 百済貨物駅を経由して京都・北陸方面の貨物が多いようです。 昭和 20 年代までの臨港線、特に太平洋戦争中の臨港線は一大軍需路線でした。 関西圏の出征兵士の多くは この鉄道に乗って中国大陸へ赴いたそうです。 明日の命も分からない若い人達を運んでいました。
現在の大阪臨港線は1日2便、朝夕の運行(往復で4便)です。 ただし夕方の便は、しばしば運休になります。 地元の人に聞くと昭和 50 年頃(いまから 20 年ぐらい前)までは 1日 6 本(往復で 12 本)以上の貨物列車が走っていたといいます。 昭和 45 年頃、環状線 大正駅で貨車を引いた蒸気機関車を見たことがあります。 福崎では転回設備がないために帰りの百済貨物駅方面はバックで走っていたらしいのですが、これは残念ながら見たことがありません。 でも環状線の線路を SL が走っていたなんて今では想像がつきませんよね。
関連: 大阪環状線
写真のサイズは 50KB から 90KB あります。
JR 大正駅から北へ 50m ぐらいの環状線高架です。 よく見ると 2重になっていると思いませんか。 古い高架の上に新しい高架を乗せたようになっています。 架線支柱の基礎部分が古い方に建ててあります。 なぜこうなっているかは、よく分かりません。 たぶん歴史的に古い高架上に作ったと思うのですが…。 昭和 36 年の環状線開通以前の高架のような気がします。
大正駅を出るとまもなく岩崎運河を渡ります。 これがその橋梁ですが、かなり立派なものです。 銘板には施工:森本組 佐藤国治 という個人名が書かれています。 建設工期は 1960(昭和 35 年)/3〜1960/6 になっています。 環状線のために架けられたようです。 橋梁が高いので高架を嵩上げしたのかもしれません。
ここが環状線と臨港線の分岐点、境川信号所付近です。 環状線は ここから西九条までが新線として建設されました。 真ん中の下がっていくのが臨港線です。 うしろに大阪ドームが見えています。 かつては市交通局のバスの車庫だったところです。 その前は市電の車庫だったような気がします。 これは記憶で間違っているかもしれませんが。
臨港線から分かれてすぐ、市岡付近の環状線高架に付けられた銘板です。 1957-4 ということは昭和 32 年です。 環状線建設は 昭和 31 年着手と資料などには記載されていますが、内回りの新線区間では昭和 32 年より早い時期のものを見ていません。 見落としかもしれません。 たぶん着工と竣工の違いだろうと思います。
![]()
臨港線は下町の住宅地を通ります。 軌道敷内には花壇や菜園などが作られています。 土地の狭い下町ならではの風景です。 これは多くを語る必要がないようです。
のんびりとした貨物線の線路です。 まさに線路がノンビリしているように見えます。 福島区の三菱専用線(引込み線)などは、もっとゴミゴミしていました。 ここはまわりが整理されているためか、ゆったりした感じです。 しかし架線がない線路というのは、どうしてこんなに絵になるんだろう。
JR 貨物が設置した無粋な(?)看板。 軌道敷内立入り禁止と 耕作 は直ちに撤去します、と書かれています。 でも1日に数本しか通らないので地元の人の通り道です。 ニンジンも植えてあります。 撤去される様子はありません。 たぶん JR も分かっているでしょう。 それだけ地域に溶け込んでいるということを。
一応このページのメインです。 この地点、南市岡の踏切で撮影したものを以下に載せます。 夕方の便で、だいたい 16 時 10 分頃にここを通過します。 その機関車は 約1時間後に帰ってきます。 環状線内を通るためか時間はわりと正確です。
下り列車がやってきました。 この日は貨車を 6両ばかり牽引していました。 午後の便はだいたい少なく、2〜3 両のこともあります。 あんまり少ないと運休になります。 事前に分からないので、空振りになることもあります。 百済貨物駅に問い合わせれば分かると思いますが。
帰りの汽車です。 貨車は切り離されて置いてきたみたいで、単機です。 帰りは単機か空車をつないで帰ることが多いそうです。 昔は 10 両以上の貨車と、最後尾には車掌が乗れるような貨車(と、地元の人が言っていましたが)に職員が乗っていたそうです。 この貨物列車の運行は JR 自身ではなく、委託で どこかの会社が動かしているという話も聞きました。 真偽を確かめていませんが、どうでもいいような気もします。
すぐそばを通る国道 43 号線です。 大変な交通量です。 阪神間の大動脈にふさわしく、トラックも多いです。 現在の物流の担い手でもあります。 臨港線はこの国道を横切るために、大動脈を遮断します。 1日4回 たった数分ですが…。 70 年前の陸運の老兵は未だ健在でした。
線路内を犬の散歩をするおっちゃんと、「庭」の手入れをするおばちゃん。 このおっちゃんは口数の少ない人でした。 おばちゃんは昭和 31 年に ここにお嫁に来たそうです。 故郷の福井から屋根にドッシリ雪を積んだまま牽かれてくる貨車を見るたびに、故郷を懐かしんだそうです。 国道 43 号線はもちろんなく、水溜りのできる小さな道があっただけと言っていました。
![]()
お世話になった商店街。 臨港線は裏手を通る感じになっています。 商店街の正面は 43 号線側とみなと通り側です。 この臨港線にはたくさんの人が撮影や取材に来るそうです。 その話を聞いてページを作る元気がなくなってしまいましたが…。 でも 「テレビの取材のとき以来、にいちゃんほど いろいろ話をする人はおらんかったで」 と言われたのが唯一の救いです。
地元福島区からは、源兵衛渡しを通るのが一番早い。 で、渡し(安治川トンネル)を渡ると 九条商店街があります。 ここにホルモンがあります。 今流で言えば「てっちゃん」なんでしょうが、これはホルモンです。 昔は露店(屋台)もたくさんありました。 ちょっと懐かしい味だったので載せてしまいます。
![]()
日本貨物鉄道株式会社(通称:JR貨物)の百済駅です。 最寄旅客駅は関西本線 東部市場前駅で、降りると目の前です。 車なら国道 25 号線(奈良街道)の杭全交差点のそばになります。
住所は東住吉区今林 3丁目で、構内は平野区平野馬場にまたがっています。 大阪臨港線の線路脇の看板に「百済施設区長」と書いてあるので、機会があれば行こうと思っていました。 平日の夕方なので誰も相手にしてくれないと思っていたら、保全区の人が親切に対応して下さったので書いておきます。 有り難うございました。 30分ぐらいの取材と言うより「雑談」で、臨港線の撮影ポイントなどを教えて頂きました。
百済駅の構内入替機関車や、臨港線貨物列車の牽引機関車の配属はすべて吹田機関区(大阪府吹田市)になるそうです。 これは梅田貨物駅(北区大深町)も同じで、 のページに写真を載せた吹田機関区出張所の建物がある理由は、こういうことだったようです。 大阪臨港線の貨物列車は百済駅構内には入りません。 関西本線 平野駅、または吹田信号所が起点になります。 吹田からは有名な城東貨物線を経由してきます。
大阪駅の港
撮影ポイントより、列車の運行ダイヤを知りたい人が多いと思います。 なにしろ毎日運転ではないので、撮影が空振りに終わる人も多いと聞いています。 JR貨物 社内文書ですが、内容は社外秘ではないということなので載せておきます。 ただ「線路内立入りなど危険な行為は堅く断る」ということでした。 当然のことですが。
※ 2002 年 3 月 23 日ダイヤ表は JR 貨物 百済保全区のご好意によります。
つづき: 大阪臨港線2
大阪臨港線や天保山、ユニバーサル スタジオなどは、野田阪神起点の道路アクセスが大変良いです。 野田阪神から船津橋経由でまっすぐ走ると 10 分ほどで花園橋(大阪ドーム近所)です。 これは「みなと通」。 一方「北港通」をひたすら真っ直ぐで USJ ですし、その先は舞洲です。 大阪城も 国道 2 号線(曽根崎通)を東へ真っ直ぐです。 また 新なにわ筋をまっすぐ南下すれば天王寺です。 全て半径 5〜6km 圏内。 このサイトで扱っている話題は、このへんに集中します。 新淀川という大河のために北方面はありません。
FINE