福島中年探検隊
お墓のご案内
- スマートフォンでアクセス( QR コード)

場所は岡山縣 總社市の井山 寶福寺境内にある墓地です。 JR 伯備線 總社驛から廣い道路で約 2.7km ほど。 タクシーで 10 分程度です。 「伯備線沿ひの寶福寺の山門前に」と言って下さい。 その時に「墓地は何處ですか?」と訊いて下さい。 ほとんどの運轉手さんは知ってゐると思ひます。 驛から步いても行けますが、土地勘に明るい場合を除いて行きはタクシーで歸りに步く方が良いと思ひます。
- 臨濟宗東福寺派 井山寶福禪寺 フリー Wi-Fi 設置
-
- お墓の場所
-
- 山門前突き當り

- 山門前突き當りから入り、左へ坂道を上がって庫裏の裏の駐車場へ。 塀で圍まれた墓地の入口を入って直ぐ右に折れ、塀沿ひに進んで一番奧のお墓です。 (區劃番號
A-16 )

-
-
- 暜通の墓地ですので、御花、蝋燭、御線香などは賣ってゐません。
- 鴉が荒らすので御供物は持ち歸って下さいますやうお願ひ致します。 または、お寺に差し上げて下さい。
- 隣が竹藪なので夏は蚊が出ます。 攜帶用蚊取り線香などをご用意下さい。
アクセス
初めての方はタクシー、徒步いづれの場合でも取り敢へず JR 總社驛の東口 に出て下さい。 そこから寶福寺への案内(井尻野街道)があります。 もし解らない場合は、階段を降りたところに総社駅前観光案内所があります。
- タクシーで行く場合
-
- 驛の東口または西口へ出て下さい。 客待ちタクシーがゐない時は東口は備北タクシー総社営業所、西口は日の丸タクシー総社営業所がすぐ近くにあります。 行き先に「お墓參りなので」と言ふと、たいてい墓地前まで行って吳れます。
-
- 備北タクシー総社営業所 Tel 0866-92-0185
- 日の丸タクシー総社営業所 Tel 0866-90-1288
- 徒步で行く場合
-
- 總社驛東口へ出て下さい。 商店街通りの藥局の角を左折して「宝福寺」の道標に從って進んで下さい。 最初は伯備線の左側を進み松山往来(と言っても狹い道)に出たら蹈切を渡り、今度は伯備線の右側に沿って進みます。
- 貸自轉車

- 天氣が良ければ總社驛から寶福寺まで往復を步いても良いのですが、道を知ってゐても片道 30 分ほど掛かります。 そこで御參りがてら町の散策も出來るレンタサイクルをどうぞ。 東口にレンタサイクルがあります。
-
- 吉備路レンタサイクル
- JR 總社驛東口前ロータリー 荒木ビル、朝 9 時から
- 荒木レンタサイクル Tel 0866-92-0233
- 地圖 Google Map
- 路線バス(非推奬)
-
- 備北バスの總社驛に近いバス停は西口から 450m の中須賀団地前になりますが、こゝから乘るほどの距離ではありません。 また湛井バス停から寶福寺まで小高い丘越えの道を 1.3km ほど步きます。 どうせなら岡山驛から乘ってしまふのが良いと思ひますがバスの本數が少ないのでお奬めしません。 利用する時は必ずバス會社に確認して下さい。
- お花
フラワーショップ鮮花( JR 總社驛東口徒步 1 分、朝 9 時から) Tel 0866-94-4616 移轉しました。 天満屋 総社店内に生花店があります。
- 地圖:
Google Map → Google Map
宝福寺の紹介 雪舟ゆかりの寺
方丈、玄関及び食堂、庫裏、宝蔵、仏殿、鐘楼、禅堂、山門など合せて24件が 國登錄の建物文化財に指定されてゐます。 ※三重塔、方丈、玄関、食堂、禅堂、庫裏などの内部の觀覽はイベント開催時のみです。
- 国指定文化財 三重塔
-
- 南北朝時代の永和二年( 1376 年)建立。 かつて七堂伽藍を誇った寶福寺は戰國時代の戰亂で殆ど燒失したのですが、その中で唯一殘った建物です。 昭和 2 年( 1927 年) 4 月文化財指定。
-
- 仏殿
- ※保存修理工事(平成の大修理)以前の寫眞です。
-
-
この建物を仏殿といい、別称「法堂」(はっとう)といいます。當山の御本尊虚空蔵菩薩を安置しています。凡そ三百年前当地豪族薬師寺次郎左ヱ門が「力乞い」のため刻んだと伝えられる霊験あらたかなる仏様です。そもそも虚空菩薩は知恵と福徳をお授けくださる仏様であり、丑年と寅年生まれの人の守り本尊とされており、十三才には知恵を授かりにお参りをおこなう「十三参り」が行われています。
正面の額「祈祷」は、後水尾天皇の御直筆です。天井の龍の画は望月派の大家鼇山(ごうざん)和尚(二百五〇年前)筆の盤龍であり直径六メートル顧子雄渾を極め、当初夜々出でて白連池の水を呑み、里人がこれを恐れたので龍の目に釘を打ちこれを封じたと伝えられて俗に「水呑みの龍」と呼ばれています。
-
- 仏殿保存修理工事
-
- 設計・監理: (財)文化財建造物保存技術協会
- 施工: (株)藤木工務店
-
- 寶福寺「平成の大修理」の先陣を切って佛殿の保存修理工事が 2006 年から 2008 年まで行はれ、工事の時に出た古釘を文鎭にして檀家に頒布されました。 備前の刀鍛冶 赤松伸咲作。
- 佛殿に續いて庫裏、玄關、禪堂、山門などの保存修理が行はれてゐます。
- 方丈と庫裡
-
- 方丈は 230 年ほど前の江戶時代末期の建物で登錄有形文化財。 東西 26 メートル、南北 16 メートル。 この堂内で畫聖 雪舟が小僧時代に柱に縛られて淚で鼠の繪を描いたといふ傳說が生まれました。 天正三年( 1575 年)の備中兵亂で方丈は燒失し雪舟が縛られた柱は現存してゐません。 その後、二度再建されてゐます。 後段の寫眞は玄關で江戶時代後期の建物、續く庫裡は江戶時代前中期の建物です。 いづれも登錄有形文化財。
- 雪舟碑
-
- 藤井高尙、頼山陽らによる碑文ですが費用の目處がつかず地元の政治家である犬養毅や有志によって昭和 3 年( 1928年 )に建立されました。
-
雪舟等楊禅師は約五百年前の人であり、総社市赤浜に生まれ、十二歳の時当山に入門し小僧となりました。天性画を好み経巻を事とせず、ついに師僧の怒りに触れて方丈の柱に縛られ、落つる涙を足の親指につけて板敷きに鼠の絵を描いたということは有名な伝説です。
この碑は昭和三年の建立であり、材は仙台石、高さ四.五メートル、幅一.四メートル、厚み三十六センチ。碑面を三段に分かち、上段の円相内は雪舟の自画像、中段は雪舟筆宋の育王山の全景、下段は藤井高尚の撰文、頼山陽の筆になる碑文であり、画聖の雪舟、国文学の泰斗たる高尚、漢文学の時眉たる山陽という三大文化人によって成る碑であるため「三絶の碑」と呼ばれています。
- 鐘楼
-
- 鐘樓は江戶時代後期( 1818 年)の建物で登錄有形文化財。 梵鐘は應仁二年十一月十五日( 1468 年 12 月 18 日)の鑄造で岡山縣指定重要文化財です。
-
梵鐘は青銅製で総高一一五センチ、口径五九センチの和鐘です。
「奉鐘鑄 脩州熊山霊仙寺 大工左衛門尉 應仁貳天戌子十一月十五日 新田庄内 寺見村 大檀那 祐長」の銘が陰刻されており、応仁二年(一四六八)に霊仙寺のため寄進された梵鐘であることが判明しますが、宝福寺に伝わったいきさつは不明です。 鐘はやや丈長であるが形姿の優れた室町時代中期の名鍾である。
-
- 千尺井
-
- 四條天皇( 1231-1242 )所縁の井戸で「井山」の山號の因になりました。
-
凡そ七百年前、當寺の開山鈍庵和尚の頃、時の帝 四條天皇が客星の祟りを受けて病気に覆られました。 鈍庵は勅命を受けてこの地に段を設け懸祈禱すること七日満願の暁に至り客星が雷の如き大音響とともに壇前に落ち、かくして天皇の御病は平癒されたと伝えられている。
これによりて近郷の荘園三千石を賜り、さらに「護国」の二文字を加えて「宝福護国禅寺」と呼ばれ、以後久しく国家鎮護を祈る勅願寺となりました。この落星の地に井戸を掘り「千尺井」と名付けました。
因に「井山」という山号はこれより始まったものです。
- 橋本龍太郎さんのお墓
-
- 總社市出身※の第 82・83 代内閣總理大臣 橋本龍太郎さんのお墓が中央山側にあります。 私は墓參の折、一緒に手を合せてゐます。
- ※生まれは東京府東京市渋谷区。 橋本龍太郎さんの曽祖父が総社出身。
- 秋葉山
-
-
- 井山十境
-
- 2002 年 7 月 7 日撮影。 江戶時代中期の明室清徳和尚が選ばれた井山寶福寺境内の名勝十箇所が「井山十境」です。 金亀前の宝福寺第 1 駐車場にある案内圖には寶福寺、三重塔、般若院の他、秋葉山、秋葉神社、井山城跡、井神社、国民宿舎 雪舟荘、豪渓、佐野山古墳などが記載されてゐますが元はお寺の境内を中心に秋葉山、三重塔、千尺井、獨木橋、白蓮池、下池などでした。
-
- 白蓮池
-
- 明室清徳和尚が擧げた井山十境の一つ。 寶福寺佛殿の下に廣がる白蓮池です。 1 枚目は紅葉の時期の 2006 年 11 月 25 日撮影。 2 枚目はハスの開花シーズンが始まる 2006 年 6 月 15 日の撮影です。 ハスの花の下を錦鯉が泳いでゐるのが見えます。
- 獨木橋
-
- 明室清徳和尚が擧げた井山十境の一つ。 寶福寺山門前に架けられた石橋です。 1828 年(文政年間)と傳へられる。 宝福寺建造物群の一つとして登錄有形文化財になってゐます。
-
宝福寺の紅葉
- 2007 年 11 月 26 日撮影
- 2011 年 11 月 26 日撮影
- 2016 年 11 月 14 日撮影
その他のスケッチ
- 総社駅(伯備線、吉備線、井原鉄道) フリー Wi-Fi 設置
-
- 2000 年 7 月 8 日撮影。 1925 年(大正 14 年)西総社驛として開業し、同年 吉備線が同驛まで延伸したことにより総社驛に改稱。 1998 年(平成 10 年) 12 月の井原線完成に伴󠄁ひ平屋の驛舍が新しく橋上驛になりました。 驛舍右側の丸窗が寶福寺佛殿 のイメージのやうです。
- 横溝正史原作 映畫悪魔の手毬唄(市川崑監督 1977 年)のラストシーンに"総社駅”が出てきます。 小說は昭和 30 年の話ですがロケ地は昭和 50 年頃の大井川鐵道 家山驛です。 横溝正史は戰時中、總社市の隣の真備町※に疎開してゐたので岡山縣をモチーフにした作品が多い。
- ※2005 年 8 月倉敷市に編入。 真備町は吉備真備に因む。
-
- 総社駅東口 黒媛の歌の歌碑
-
やまとへに
西風ふきあけて雲離れ
退きおりとも
我忘れめや
- 2013 年 2 月撮影。 總社で生まれ育った書家 高木聖鶴の揮毫で 2005 年に建立されました。 古事記(仁德記)にある黑媛󠄁(黑日賣)の歌が記されてゐます。 黑媛󠄁は吉備海部直の娘で容姿端麗である事で仁德天皇の寵愛を受けるのですが…。
- ※古事記原文では
爾斯布岐阿宜弖
(にしふきあけて)となってゐます。
- 寶福寺山門前の櫻
-
- 以上 2001 年 4 月 8 日撮影。
-
- 以上 2018 年 3 月 31 日撮影。
- 国民宿舎 雪舟荘
-
-
- 閉館後の雪舟荘

- 營業中の寫眞は 2002 年 7 月 6 日撮影。 東京オリンピックの 1964 年(昭和 39 年) 10 月に竣工し、高度成長期に賑ったものの 2003 年 6 月に国民宿舎サンロード吉備路に引き繼がれて閉館しました。 その前年に宿泊した時の寫眞です。 玄關の七夕飾󠄁りが利用客の目を樂しませてくれます。 また玄關廂にはツバメが巢を作ってゐました。 泉質は放射能泉で無色透明のさらさらしたお湯です。 錢湯にあるやうな廣吿入りの鏡が昔の國民宿舍らしい。 最盛期には年間數萬人の宿泊客があったさうですが 2002 年度は 6,600 人ほどに畱まってゐます。
-
- 朝日
-
- 2002 年 7 月 7 日撮影。 雪舟荘はリーズナブルな料金で溫泉に入浴できたり宿泊できるのが人氣ですが、宿泊者にしか味はへない魅力は何と言っても朝日の美しさです。 客室正面の山陰から昇る朝日は美しいと言ふより神々しくさへあります。 夏は朝日が昇ると草に附いた露がキラキラ光る。 餘談ですが、この辺りの有名な銘柄米は『朝日』でコシヒカリなどのルーツです。
- 舊総社駅(吉備線 東総社駅)
-
- 2006 年 11 月 25 日撮影。 2004 年から無人驛になった爲、岡山驛から JR 西日本の職員が自動車で來て切符囘收※などの業務をしてゐます。 吉備線が伯備線 西総社驛に延伸する前の総社驛でした。 伯備線 西総社驛(現 総社駅)は町外れに出來ましたが吉備線 東総社驛は南側に市街中心部が廣がります。
- ※ 2023 年 3 月から ICOCA が使へるやうになりました。
-
- 備中國 總社宮
-
- 前段 2001 年 9 月 18 日撮影。 後段 2026 年 3 月 20 日撮影。 岡山縣西部(備中國)および総社市の中心にあり市名の由來になった神社です。 旧総社駅(吉備線 東総社駅)から近い。 うちの車の交通安全のご祈禱をして頂いてゐました。
- 本殿橫に建てられた石柱には「鬼神饗徳」と書かれてゐます。 「鬼神」は御祭神を指してゐるのか本來の鬼なのか分りませんが鬼力(大いなる力)を持つ者を稱へるといふ意味のやうです。
-
-
- 御鎮座地 総社市総社731番地
- 御祭神 大名持命(大国主神) 須世理姫命
- 御由緒 当社は大化年間の創立であり備中国の総社です。 社殿には備中国内大小の神祇すなわち官社18社(延喜式所載の神社) 田社286社(国司の神名帳記載の神社)あわせて304社の神祇をお祭りしたことが古文書に記されています。
-
- 総社市まちかど郷土館
-
- 2001 年 9 月 18 日撮影。 総社宮の大鳥居橫に建ってゐます。 明治 43 年( 1910 年)から昭和 34 年( 1959 年)まで総社警察署として使はれた後、総社市農業共済組合や教職員組合吉備支部などが入れ代はり使ってゐましたが昭和 60 年( 1985 年)に総社市が取得し昭和 63 年( 1988 年)に鄕土館にしました。 市内に殘る唯一の明治の洋風建築で登錄有形文化財です。 この近くには古い商家も殘ってゐます。
-
- 手打うどん よこた
-
- 2005 年 2 月 9 日撮影。 東総社驛から 1.2km ほどで地元の有名店。 お墓參りの時に立ち寄って「天ざるうどん」を頼むのが定番になってゐます。 最初は親戚の人に奬められて入ったのですが、うどんにコシがあって美味い。 晝食時は大變混み合ってゐます。
-
- オニヤンマ

- 2021 年 9 月 23 日撮影。 寶福寺山門前の池の淵に產卵を終へて既に死んでゐましたが、生きてゐるかのやうに凛々しく美しい姿をしてゐます。
忘れられない情󠄁景
大阪から自動車で行くときは山陽自動車道を使ふ事が多く、最寄の岡山総社 IC で降りると國道 180 號線です。 これを總社市街方面に走って、天滿屋の前を過ぎ、吉備線、伯備線の跨線橋を越えて行くと、井尻野といふ交叉點があります。 こゝで右に折れる。 ちなみに一つ手前の溝口交叉點で左に折れると、高梁川沿ひに南下して倉敷へ行きます。 こゝから倉敷は近い。 さて措き。
その井尻野交叉點に中古自動車屋があるのですが、最う二十年も前※ になると思ふけれど、父がふと「ここは親戚なんだ、可なり遠いけどな」と言った事がありました。 二十年ぐらゐ前で「可なり遠い親戚」。 それからたぶん世代が替ってゐる。 今は他人と同じですが、しかし「ここは親戚なんだ」と洩らした父のひとことが今も腦裡から離れません。 あのとき父は立ち寄る氣配もなく、交叉點を右に折れて行った。 それから十年ほどして亡くなった。
溝口交叉點を通る度に、あのときの情󠄁景が甦って來る。
※ 2012 年時點の 20 年ほど前。
追悼

- 京都 大本山東福寺の方丈にて。 2006 年 7 月撮影。

- 新潟の實家から大阪へ。 北陸本線 特急サンダーバードの車内にて。 2007 年 2 月撮影。
- 母が手に持ってゐるのは金澤のお菓子です。 通稱 あんころもち※。 冬の新潟 西頸城地方は雪が深く仕事が無いので母は終戰後、靜岡の蜜柑農家へ出稼ぎに行ってゐました。 そこから歸る時に汽車で通る金沢驛で買ってゐたさうです。 甘い物が無い時代なので贅澤なお土産でした。 家に持って歸る積りが車中でつい全部食べてしまったと言ってゐた。 もう氣にする事もないけれど父や母(私から言ふと祖父母)に食べさせてやりたかったと後悔してゐました。 そんな思ひ出の品です。
-
- 仏の花

- 母がカレンダーに書いたメモ書き。 「仏の花 買ふ」と書かれてゐます。 2009 年 3 月撮影。
-
- 海ゆかば 伊藤久男(ステレオ) - YouTube
- 母の十八番。 ついぞ唄ってゐるのを見た事はなかったのですが。
2012/08/01 三宅龍太郎 (©2012 MIYAKE_ryutaro)